オンガクカンキョウソウゾウカ?

技術は決して無機的なものではなく、
そこには熱い血が流れているのです
 
「音響技術史」担当(2002–2010年) 森 芳久 先生

2002年の音楽環境創造科開設から9年にわたって「音響技術史」の講義を担当されてきた森先生。2010年度をもって後任を君塚先生に託し、惜しまれつつも退官されましたが、その明るさとポジティブな人柄で多くの学生に愛され続けてきました。長年ソニーで音響技術に関わってこられた先生が、音環で何を感じどう接してこられたのかを振り返っていただきました。(聞き手:岸本つよし〔DTP出版編集演習講師〕)

森先生森 芳久(もり・よしひさ)先生 プロフィール
東京電機大学工学1部電気通信工学科卒。日本グラモフォン、品川無線(グレース)等を経て、1973年ソニー入社。一貫して、レコード、レコードプレーヤー、カートリッジの研究開発に携わる。オーディオ事業本部設計第二部長、商品企画室長、広報センター技術広報室長、スーパーオーディオCDビジネスセンター担当部長などを歴任。退職後2002年から2011年まで東京藝術大学にて「音響技術史」の講義を担当。オーディオ関連等の執筆も多数手がける。日本オーディオ協会諮問委員、同協会「音の日」実行委員長、「JASジャーナル」編集委員。

〝高校時代はアマチュア無線やステレオレコードに夢中でした〟

――はじめに森先生の経歴を伺ってよいでしょうか。レコードプレーヤーのカートリッジやSACDの開発など、長期に渡って音響技術畑を歩まれてきたという印象があります。この記事は高校生にも読まれると思いますので、十代の頃なども含めお話しいただけますか。

私は1941年の戦前生まれで、幼い頃からラジオや電気製品に興味を持ち、高校時代は放送部で校内放送設備の補修やアマチュア無線、またその頃普及し始めたステレオレコード再生などを夢中になってやっていました。その趣味が嵩じ、大学も電気通信学科に進み、オーディオ特にレコードの録音・再生技術を研究しました。結果、レコード会社に就職し、そこでレコードの音質改善に取り組んだのがキャリアの出発点となりました。

レコードの音質改善には優れたレコードプレーヤー(カートリッジ)が必要です。また優れたレコードプレーヤー(カートリッジ)を開発するには優れたレコードが必要というパラドックスが生じます。このパラドックスが私にオーディオの世界の魅力を教えてくれ、同時に私を虜にしたのです。

その後、レコード会社から、品川無線(グレース)、NHK技研(共同研究のためグレースより出向)、ソニーへと、プレーヤーを作るほうの会社に職場を移し、標準MM型カートリッジとなったグレースF−8Lの開発や、ソニーで8の字コイルMC型カートリッジの発明などを行ってきました(写真参照)。一貫してアナログレコードの世界で活動を続けて来た私でしたが、1982年に晴天の霹靂のような事件が起きます。

左上:NHK技研とグレースの共同研究で誕生したMM型カートリッジ グレース F-8L(1966年)。左下:新開発8の字コイル、針先一体ダイヤモンドカンチレバー搭載MC型カートリッジ ソニー XL-88D(1979年)。右:世界初自走式レコードプレーヤー ソニーChorocco(1981年、後にソニーが特許を公開、現在もいくつかの玩具メーカーが製造販売している)。

CDの登場は、アナログ時代からデジタル時代への大きなパラダイムシフトでした。それまで100年余に亘り、栄華を極めたアナログレコードは急速に消えていきました。アナログ技術者はデジタル技術者に取って代わります。まるで、それは剣の名人がピストルの射手と戦うようなものでした。本当の名人は自身の剣を研ぐと同時にピストルの研究を1から始めたものでした。しかし、剣の実力にあぐらを掻いた人ほど、その時代の流れに置いていかれることになりました。私もまた自身のカートリッジ技術に自信過剰となっていて、そこまで来ているデジタルの波に気がついていませんでした。今更1からデジタル技術を学ぶより、得意なアナログ技術で戦おうと無謀なことを考えていたのです。それが自身に対しても楽だったからです。言うまでもなく、人は最も得意な武器だけでは生きて行けません。その武器を常に磨くことはもちろん、世の移り変わりを察し、新しい武器(技術)を手に入れそれを磨く必要があります。

このように技術のパラダイムシフトが技術者たちに新たな試練の場を与えてくれたのだと思えます。生き残る人、そうでない人、現実は過酷です。

CDの販売高がアナログレコードそれと並んだ1986年、不勉強だったカートリッジ屋である私の運命のカウントダウンが始まりました。

私はその後、商品企画や技術広報などもっぱらマネジメントの仕事をすることになりました。技術広報とはソニーの技術をわかりやすく的確に記者やユーザーに知らせる仕事も含まれています。そこでソニーの技術はもちろん、広くオーディオ技術の歴史を研究してみようと考えました。同時に100年続いたアナログの世界がデジタルの世界に変革したその変遷を探ってみたいと思いました。幸いソニーはその仕事をするには絶好の場でした。ソニーがフィリップスと一緒にリーダーとしてCDのフォーマット作成に努めるなどデジタル技術の最先端を走っていたからです。

また以前に遡りますが、NHK技術研究所が世界で初めてデジタルによるステレオの録音再生に成功したのは1968年です。当時私もカートリッジ研究のためグレースより出向して、同じ研究室でアナログとデジタル両方の研究経緯をつぶさに眺めてきました。そしてそのときには、遠い将来はいざ知らず私にはまだまだアナログの時代が続くと信じて疑っていませんでした。否、そう信じたかったのかもしれません。今になってわかりましたが、これこそが未熟な私のような人間が陥り易い罠だったのです。そして、その罠は人生のどこにでも仕掛けられているのです。この実体験は、私の人生の大きな教訓となりました。

これらの現場での体験や見聞きしたことはもちろん、過去の偉人たちの発明・発見にも大きな感動と物語があることを私なりにまとめ始め、それは次第に私のライフワークとなっていきました。そして1998年、エジソンの錫泊円筒式蓄音機からCD/SA-CDまでの変遷についてやさしくまとめた『カラヤンとデジタル』を上梓しました。幸い、この本はいくつかの大学で音響技術やレコード技術の副読本として用いられました。そして2002年4月、東京藝大に音楽環境創造科が設立されると同時に、非常勤講師として「音響技術史」の講義を担当することになりました。そこで2011年3月まで、この『カラヤンとデジタル』を副読本として講義を続けさせていただきました。

私はそれまで、企業内の研修、マスコミ関連、異業種他社などで講演した経験はありましたが、若い学生相手に授業をするということは初めてで、戸惑いと緊張の連続でした。しかし同時に、毎回の講義が私にとって大きな感動でもありました。学生との質疑応答や対話の中から私の方がどれだけ勉強させてもらったことでしょうか。私の人生の中では、9年間、しかも週1コマの講義時間はとても短いものでしたが、それは最も充実した時間となりました。そして未だに多くの教え子(教え子でなかった学生も)たちと交流が続いていることも私の大きな喜びとなっています。支えて頂きました諸先生、助手のみなさま、この場をお借りして改めて御礼申しあげたいと思います。どうもありがとうございました。

〝芸術と技術は常に表裏一体であることを感じてほしい〟

――先生が担当された「音響技術史」の講義内容や進め方について詳しく伺ってよいでしょうか。

講義の主題は「人類がいつ頃から音を記録しようと考えたのか」、また音の記録の歴史上で誕生した新しい技術を時系列的に紹介し、やさしく解説することです。具体的にはエジソンの錫泊円筒式蓄音機「フォノグラフ」からベルリナーの円盤式蓄音機「グラモフォン」そしてLPレコード、さらにCD、DATなどのデジタル時代の到来、現代のDAPやBlu-rayなどへの技術の変遷とその技術を支えた技術者たちの夢と努力の話。また著名演奏家たちがその技術を使ってどのように自己の芸術表現をしてきたかなど、その技術の誕生・発展の歴史、その裏にある物語など、実際に私が現場で体験したことを含めて話をしました。

講義の進め方としては、蓄音機など実際に当時の名器を演奏、実演し、当時の記録映像やビデオなども使いながら出来るだけ具体的に解説しました。また、その時代背景や関連技術などについても触れるように留意しました。そうすることでその時々の感動や驚きを共有できるように務めました。また、期末には希望者に対して、レコードスタジオの見学会などの課外授業も行い、実際のレコード制作現場を理解してもらうことも行いました。

テキストは事前にパワーポイントの資料にまとめ、講義に用い、また副読本に拙著『カラヤンとデジタル』を用いました。また、後期授業の前に就学生の一人一人に自由テーマでオーディオ技術について研究発表してもらい、全員でそれを評価・共有するなど、相互理解を図る試みも行いました。

音響技術史に限らず歴史では、事実(○○年に○○が発明されたなど)が変わることはありませんが、何故そのときにその技術や製品が誕生したのか、その時代背景の解釈などが面白いと考えています。講義では、なるべくそこに重点を置きました。また、教科書上や文献だけの話ではなく、実物に触れ、その設計者や発明者の考えや当時の聴衆の感動を共有することで、音響技術の変遷を体感してもらうことができたのではないかと思っています。特にアナログからデジタル技術へのパラダイムシフトの渦中にいた私の実体験は、学生たちにも臨場感を持って伝えられたと自負しています。また、私はこれらの音響製品を拙宅でも使用しているため、学生たちが拙宅を訪れそれを体験する機会や自由討議の場を作ることで、交流を深めることもできました。

――新しいテキスト『音響技術史』について伺ってよいでしょうか。

音環での9年間の講義の内容を2011年の退官を機に、主任教授の亀川先生、そして後任講師の君塚先生にご協力いただき『音響技術史』(東京藝術大学出版会発行)としてまとめました。内容の一部は『カラヤンとデジタル』と重複するところもありますが、音響技術を学ぶ学生のため、音響技術の歴史を俯瞰できるように構成しました。これが学生諸君のため少しでもお役に立てば、それこそが私の望外の喜びです。

――森先生が講義でいちばん大事だと考えていたこと、学生に伝えたかったことは何でしょうか。

技術・発明の世界には、先人たちの知恵とたゆまない努力があります。そして、つねにそこには感動の物語があります。技術は決して無機的なものではなく、そこには熱い血が流れているのです。音の記録や音楽表現などの世界では、芸術と技術(録音再生技術、またPA技術など)は常に表裏一体であることを感じてもらい、そしてそれらの技術もまた芸術であり、その技術を利用して新しく誕生する芸術がまた人を幸せにすると思っています。その感動を伝えたいというのが、私の願いでありました。

――講義内外でのエピソードなどあればお聞かせ下さい。

講義が3時限目で午後の睡魔が襲う時間のためか、否、こちらの進め方が稚拙だったのだと思いますが、居眠りする学生がいたのは、大いに反省すべきことだったかも知れません。しかし、それらの学生も個人的に話をすると決して授業そのものが嫌いなわけではありませんでした。逆に、講義を楽しみに来てくれる学生も少なくなく、学生によっては、1年生で単位を取得したにも関わらず、毎年講義に顔を出す子が何人もいて、そのため、無理矢理講義内容に変化や例え話の内容を変えたこともありました。おかげで、多くの学生たちが在学中に、また卒業しても、遠く私の田舎の拙宅まで遊びに来てくれるようになり、退官後も交流が続いています。元教官としてこれ以上の喜びと幸せはないのではないでしょうか。これこそが、私の9年間の教官生活で得た大きな宝物となっています。

それから、毎年一度開催される全学年の研究発表会や卒展は、私の最も興味のあるまた印象に残る時間でした。特殊講義の非常勤講師としては全学生と接する機会がないので、その発表で学生の一面を知ることは新鮮な喜びでした。そして他の学生や教官からのコメントなどを聞くのも大きな楽しみであり、私が最も刺激を受け、勉強をさせられた場でもありました。

〝人生こそがかけがえのない芸術であり作品なのです〟

――先生は音環の学生たちをどのように見ておられましたか。面白い学生などはいましたか。

全ての学生が大きな可能性を秘めていると思います。問題はその可能性を大学がどこまで引き出せるのかということです。言い換えればどの学生も面白い学生になり、またつまらない学生になるのではないでしょうか。入学希望をした学生には大いにこの場でチャレンジをして欲しいですが、同時に学術試験と面接試験をしてその学生を入学させた大学の責任も再認識する必要があるのではないでしょうか。学生・教官・大学の組織が三位一体でうまく機能することで、可能性を持った多くの面白い学生が誕生することを祈っています。

――先生はソニー時代もたくさんの後輩を育ててこられたと思いますが、大学生に接するということは何か違いがありましたか。教育というようなことを意識されたりしてましたか。

一般的には企業の後輩の育成も学校の教育も同じことかもしれませんが、私は、大学の授業と企業研修の大きな相違点は、人格形成ということをどれだけ考えるかということではないかと思っています。大学では人格形成により重点を置くべきではないかと思います。果たして私がどこまでその役を果たせたかは疑問ですが、その意識を持っていたことだけは確かです。

――学科の開設から9年間で学科や学生の変化などは何かお感じになりましたか

開校当時は、どのような専門性を持った学生を輩出しようとしているのか、音楽環境創造科の特異点は何かということがまだ未知の状況のように感じられ、また学生もとりあえず藝大で音楽関連を勉強したいということで入学してきていたように思えました。しかし、第一期卒業生を輩出するころから舞台芸術、サウンドエンジニア、さらに音響研究者など専門性の高い卒業生が誕生し、それに合わせこの学科の方向性が見えて来たように思えます。

そしてこの9年間で、世界も歴史も大きな変化をしました。当然学生の気質やライフスタイルも変化しています。技術の世界もまた大きな変化がありました。学生以上に教官はその変化に敏感にならなくてはいけませんが、現実にはその変化に戸惑うことばかりでした。

――これからの藝大や音環、そして学生や卒業生に期待することは何でしょうか。

素晴らしい環境(校舎や設備と教官など)と何よりもこの学科の自由な雰囲気はとても大きな宝物です。学生もこの環境を大切に守って行って欲しいと思います。そして、これからの音楽は音響技術なしには進まないと思います。この音楽環境創造科から新しい技術や芸術の波が世界に広がって行くことを強く望んでいます。

――最後に音楽・芸術方面を目指す高校生や若者に何かメッセージを。

皆さんの人生こそがかけがえのない素晴らしい芸術であり作品なのです。是非その素晴らしい作品を本校で開花させて欲しいと思います。 (了 2014年1月)

 

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