オンガクカンキョウソウゾウカ?

わかりあえないところからはじめる
丁寧なディスカッションから作る姿勢
プロジェクト4出身 2008年入学 吉中詩織さん
現・舞台演出助手・制作補助

現在フリーランスの演出助手や制作補助をしているという吉中詩織さん。学生の頃は事務所に所属し、役者として活動していたことも。表方ではなく裏方として舞台の道を進むことを決めた彼女の学生時代や今後の活動に迫る。

任された仕事から次へと繋げていく

――現在の活動を教えてください

フリーランスで舞台の演出助手や制作補助をしています。きっかけは役者としてある舞台作品のオーディションを受けた時に「本当は演出家を目指している」と話したところ、演出助手として起用して頂けたんです。それを機にいろいろな舞台に声をかけてもらっているので、今は任されたことから次に繋げていけるように地道に活動しています。

――具体的に今の演出助手という仕事は何をなさっているのですか?

ついた演出家や監督によって仕事内容は様々なので一概にはいえないです。結局は、現場に合わせて臨機応変に対応していかなくてはいけません。小道具の用意やスタッフへの連絡、役者の動きの把握など、いたって作業的なことだけをする現場もありますが、最近までついていた現場の演出家はとても柔軟な方で「今ここのシーンどうだった?」って私に意見を求めてくれたり。照明・音響のタイミングやタイム管理もほとんど私に任せて下さって。そういう現場は本当にありがたいし、勉強になります。

常に挑戦

――最近は自分でも作品制作をしていると伺ったのですが?

今年(2013年)の秋に音環同期の前村晴奈と一緒に「スズランの花唄」という作品を作りました。私は脚本・演出・振り付けを担当しています。これからも彼女とユニットを組んで活動していくつもりです。

『スズランの花唄』2013.09.27 撮影:西巻平
『スズランの花唄』2013.09.27 撮影:西巻平

もっと藝大の外に出たいと考えていて、来年あたりに公演を実現させようと企画書を書いているところです。30歳手前まではジャンル問わずいろいろな制作現場で学びながら、自分の作品も発表していきたいな…。「食わず嫌い」ではなく、どこにでもとりあえず飛び込んでいく挑戦の日々でありたいです。

学生時代は事務所に所属

――演出助手の仕事をする前は事務所に所属していたと伺ったのですが?

3年生の冬から周囲が就活をはじめたけど、私は就職する気が全然なかったからオーディションを受けてタレント事務所に入ったんです。私の尊敬している演出家がもともと役者出身という方なので、演出をする上で演技経験は必要だと思って。そのときは役者としてやっていけたらいいな、と考えていた時期もありました。でも、いざ始めてみたらイベントに出たり、司会をしたり、宝塚のような男役メイクをして踊ったり。あれ、なんか違うなぁって(笑)。それもそのはず、元々グラビアアイドルやモデルが多い事務所だったんですよね。これは場違いだったと気づきひっそりと辞めていきました。面白い経験を沢山させて頂いたので脚本のネタが増えましたね(笑)。

やっぱり舞台がやりたい

――もともとダンスや演劇をやっていたのでしょうか?

演劇はやっていなかったのですが、小さい頃からクラシックバレエをやってました。でも身体は固いし、体型もぽっちゃり、いつも配役はコールドだったので、自分には向いてないんだろう、と中学受験をきっかけに辞めてしまったんです。でも踊ることは大好きで。そうしたら中学入学前にコンテンポラリーダンスに出会ってしまいました。実は私、藝大のピアノ科を目指していたんです。小さい頃から真剣にやっていたのはダンスではなくピアノの方で。両親はピアノ科に行かせたかったし、ダンスは趣味程度に習わせてたつもりだったから、私が急に舞台をやりたいって言った時は勿論猛反対。でも、高校2年生のときについに折れてくれたんです。ピティナ・ピアノ・コンペティションを受ける予定の時期に六本木俳優座劇場での公演に出演が決まって、毎日の公演リハーサルとピアノの練習を比べて、それでも舞台がやりたいっていうならその道に進んでもいいよ、と。両親も覚悟してくれたんだなと思って、ピティナも公演も両方とにかく頑張りました。でも結局はもう自分の中でははっきり決まっていて。天秤に掛けたときにやっぱり舞台がやりたいって思ったんです。

白井晃作品との出会い

――演劇にはいつから興味をもったのですか?

高校1年生の時に母がドラマ「花より男子」にでていた小栗旬さんにはまっていてですね(笑)。「小栗君見に行こうよ」と世田谷パブリックシアターに「偶然の音楽」という作品を観に行きました。母は小栗さんに夢中だったのですが、私はというと演出に目を奪われてしまったんです。音楽も照明も役者の動きも全てが美しくて。人気のある役者さんを観に行くことが重要だった私にとってそれは衝撃的なことでした。「この演出をしてる人は一体誰なの!?」と、その時に初めて演出家としての白井晃さんを知りました。勿論その次の作品「ヒステリア」にも足を運んだのですが、これもまたすごくて。演技に鬼気迫るものがあって「一刻も早くこの劇場を出たい」とあんな恐怖心を感じたのはこの作品が初めて。中でも、舞台装置が歪む仕掛けがあって、それを見たときに、自分の知らない世界「もう一個の地球」を見てしまったように感じたんです。その体験が衝撃的で、これをきっかけに自分も演劇を作りたいって思いました。それまで特に役者の経験とかもなかったし、実際に演劇をやってみたのは大学に入ってからでしたが、とにかくやりたいという気持ちだけはどんどん膨らんでいきました。

歴代の先輩達に刺激を受けて

――音楽環境創造科をめざすきっかけは何だったんですか? 

私、高校の頃担任の先生とすごく仲が良くて。先生が演劇の盛んな早稲田大学の出身だったからいろいろ相談にのってもらっていたんです。私が舞台を学びたいと話したら「こんな学科があるよ」って紹介してもらえて。それで高3の12月に「千住art path」(音楽環境創造科を含む北千住キャンパスの制作・研究展)を観に行ってみました。そこで当時3年生だった坂田ゆかりさん演出の作品「Bomb song」を観て、絶対ここに行きたいと直感的に思ったんです。すごくありきたりな言葉になっちゃうけど、「作品のエネルギーを感じた」し、真っ正面からパワーがやってくる感じがしました。白井さんの作品を見て感じた時と同じような衝撃を「Bomb song」でも体験したんですよね。  

ダンスと向き合った1、2年生

――学生時代は主にどんなことをやっていたのですか?

作品制作もしたし、振り付けもしたし、その時はまだ自分自身も踊ったり演技もしていましたね。

――それぞれの作品について覚えていますか?

もちろん! 1年生のArt Path作品が一番最初の作品です。

――1年生からArt Pathに作品を出していたのですね!

プロジェクトのダンスの授業で「何か作品の元になりそうなピースを作る」っていう夏休みの課題が出たんです。夏休みが明けてアイディアを発表したら先生が「吉中、それ面白いじゃん!Art Pathまでに形にしてみようよ。」とおっしゃって下さって。それがきっかけで、授業の中でアドバイスをいただきながらつくらせてもらえて最終的にはArt Pathで上演することになりました。

出演者3人のダンス作品。今見るととっても恥ずかしいんだけど、一緒に制作をした先輩が「こうしたらもっとおもしろくなるよ」と沢山アドバイスをして下さったおかげで作品がすごく絞まりました。達成感はありましたね。

次に作ったのは2年生の5月頃に上演した「そろそろ踊ります」のソロダンス作品。これは本当に私の黒歴史!(苦笑) 他の作品はやった後も映像を見返して初心を忘れないようにしているのだけど、これだけは未だに1回も写真や映像を見られません。自分の不甲斐なさを突きつけられて「うぁ、もうやめてくれ!!」って悶え苦しむぐらい嫌です(笑)。

――それは、何故そんなに嫌なんですか?

私、基本的に考えないと行動できない性格で、作品作る時って熟考期間がすごく長いんです。あとはディスカッションの期間。考える時はノートにばーっと書きなぐるんだけど、その作業中、想像上ですごく凝りだしてしまうんでしょうね。その凝った仕組みを踊るのは結局自分なのに、自分のスペック以上のものを考えてしまうからもう大変。「自分で表現したいことを表現できないもどかしさ」を痛感して落ち込みました。私が演出に専念しようと思ったのはこれが主な理由ですね。あと、自分が作品に出てしまうと、客観的に見られなくなってしまうし。4年生のときに、同期の子の卒制のアドバイスをしたりする中で、その人の魅力を引き出すポジションが自分には合っているなって。人には向き不向きがあると実感しました(笑)。

――1、2年はダンスが中心だったのですか?

そうですね。ダンスの先生に大変お世話になっていました。その中で2年生の6月、そのダンスの先生が「手伝ってみるか?」と振付を担当される現場に誘ってくださったんです。その作品の演出がなんと私のきっかけでもある憧れの白井晃さん!あれは忘れもしない8月3日。朝10時に先生から「今日の12時くらい空いてる? 顔合わせがあるから新宿においで。全然ラフな感じでいいよ」と電話がかかってきました。「はいっ!」と頭を真っ白にさせながら稽古場へ。「大丈夫、ラフだから、大丈夫。」と自分を落ち着かせ、いざ顔合わせ場所のドアを開けてみたらまあびっくり人がずらーっと並んでいて。 大きい劇場の公演だったから、出演者が20人くらいいるし、有名な方も多いから、スタッフの数も相当で、「全然ラフじゃないじゃん!どうすればいいの」と、大パニック(笑)。

「振り付けアシスタントの吉中さんです」紹介されて「白井さんが見てる!!!」と、すごく興奮したのを覚えています。

翌日から稽古開始。先生は振り付けと出演をされていたので、稽古中は私が代役を務めさせて頂きました。経験の浅さにたくさん悔しい想いもしたのですが、この時の経験が今でも私の糧となっていますね。こうやって振り返ると1、2年生は本当にダンス中心でやっていたんだなあ。

演劇をつくる

――最初の演劇作品はどんな作品でしたか?

2年生の11月の自主公演です。1つ後輩の田島由深に出てもらったものなのですが、これもなかなか見返せない作品でして…。初めてのことばかりで本当に苦しみました。ただこれをやったことで、自分のやりたいこと・好きなことが分かったような気がしますね。すごくステップアップになった作品です。

その次の演劇作品は「戦車」というタイトルで、グループ制作の作品でした。この制作期間にとても濃密な時間を過ごすことができて、初めて「作品を作るとはこういうことなんだな」とすっと府に落ちたように思います。

やりたいことができた卒業制作

――卒制は論文ではなくて作品制作でしたよね?

はい。卒制は55分ぐらいの作品で脚本と演出を両方やりました。やりたいと思っていたことをその時の限界までやったように思います。私、取りかかりは早いんですけど、いつも猪突猛進に進んで、必ず空中分解してしまうんです。そんな時はいつも後輩で出演者の田島に電話して、彼女に私が思っていることを整理してもらっていました。彼女には大変お世話になりました…。

『カクカクシカジカ』2011.10.27–28 撮影:冨田了平
『カクカクシカジカ』2011.10.27–28 撮影:冨田了平

卒制公演2週間前に思考が空中分解してしまい、台本を全部書き直すことになってしまったんです。そうしたら、最初は出演者3人の予定だったのが、もっと人が欲しくなってしまって。卒制時期で本当にみんな忙しかったからこれ以上負担を掛けたくなかったんだけど「白塗りをして立ってるだけでいいから出演してくれない?」って後輩達にお願いして回りました。最初は本当に「立ってるだけ」の予定だったんだけど、稽古の段階で「ごめん。この音を聞いて、なんか動いてみてくれない?」と頼み、しまいには「ここの台詞覚えてくれない?」と、当初の契約とは明らかに違うことを要求。これ、プロジェクト4で語り継がれている事件で「立ってるだけ詐欺」って言うんですけど(笑)。台本の台詞を録音してそれを素材に音楽を作ってもらったのは1週間前。公演前最後の土日に必死に振り付け。ギリギリもギリギリでしたが、本当にみんながいてくれたから完成しました。いつも思うんですけど、本当にメンバーに恵まれています。

――大学時代に作った作品の中で1番気に入っているのは、やはり卒業制作でしょうか?

卒制の作品も勿論好きですが、その後に卒展でやった作品ですかね。大きい窓のある会議室2で上演したんです。2つ後輩の新庄恵依と田島と私が出演しました。学校でつくる最後の作品だと思っていたから「卒業」にかけて、「この学校から出て行く人とそこに取り残されていくもの」をモチーフにしたんです。窓から商店街が見えるのですが、最後のシーンで部屋を出て行った私がそこを歩くんです。それを窓越しに見送る新庄と田島。見送りながら田島が合唱曲の「春に」を歌い出して、仕込んでいた歌い手たちが続き、最後は10人ぐらいで合唱してもらうというものでした。卒業していく自分の状況ややりたいことがリンクして一番いい作品だったなと思います。

『カクカクシカジカ またべつのおはなし』2012.02.10–12
『カクカクシカジカ またべつのおはなし』2012.02.10–12

――演出する際、自分のダンサー・役者として活動していた経験は活きていますか?

活きてると思います。自分が出て欲しいと思う役者さんは踊れるかどうかに関わらず、身体感覚が優れている人なんです。例えばものを手に乗せたときに、そのものの重量感を手のひらに感じることのできるというか。自分の感覚が研ぎすまされている人は私がやりたいことを体現してくれるなって。役者としてやっていたときにそういう身体感覚が必要だと実感したし、自分で感じたからこそ求めることができるんだと思います。

――作品の着想はどこで得ることが多いのでしょうか?

作品を作ろうと思ったとき、まずは自己分析からはじめるんです。自問自答の日々で悶々とします(笑)。自分が何が好きで、今どういう方向に向かいたいのかがわからないとつくれないんですよ。そこに興味のあることや気になっていることをプラスしていく。自己分析が終わったら、役者さんや発表する場にあわせてどんどん変えていく。プロ4はいつも基本的にディスカッションからはじまっていたから、先に台本ができあがっていて、台詞を覚えてきてねみたいな制作の仕方は実はまだやったことがないんですよね。

――基本的にディスカッションを重ねて作っていくのでしょうか?

そうです。そうしないと分かんないもん。逆に本が出来上がらなくても、ディスカッションで作品の土壌を固めていれば、直前の脚本変更でもすんなりと受け入れられるんです。

――大学院に行くつもりはなかったのですか?

ほとんどなかったです。2年生のときに白井さんの現場に出て、プロの厳しさを知ったし、外に出て行かないと成長しないなと感じたから。今でもそれは正しかったと思っています。でも、在学中にもっと座学の授業をちゃんととって知識をつけておければ良かったなとは思いますね。興味のある授業は絶対とっておくべき。自分が制作側にまわって、こんな知識が欲しいって思うことが多々あります。今は在学中よりも本を読むようになりましたね。本の中には、人と人とをつなぐ言葉があるんだな、ってことを実感しています。

――外との繋がりってやはり大切でしょうか?

外に出て関わることは本当に大事。音環って特殊な環境なので、これを普通だと思って外に出ると絶望することが結構あります。作品を作る時に感じることは、音環内では作品づくりのための共通言語があるけど、外でやる場合はその共通言語をいちから作り直さなきゃいけない。知ってることと知らないことをすりあわせていく作業が必要になる。基本的に分かり合えないことがスタートラインで、すりあわせていく為には、外で見た知識・経験が必要なんですよね。そういうことに敏感になって外に出ていかないと井の中の蛙になってしまうと痛感しました。

ひとつひとつを丁寧に

――他に在校生にアドバイスはありますか?

大学は基本的には自由だし、自分に関係のないことを切り捨てるのは簡単だけど、そこをちょっと頑張って考え続けてみると、何かが見えてきたりする瞬間があるんです。音環ってものすごく不透明な学科ですよね。入学前も在学中も。学部卒業後だって、就職するべきなのか院に行くべきなのか。でも院に行ったところで就職できる確証はない。不安に思うことばかりでした。舞台の道で生きていくって決めて、自分には才能がないんじゃないかなってすごく落ち込むこともあって。でも、先のことを考え過ぎてもしょうがないってことが最近分かってきたんです。先を見据えることも大事だけど、目の前の事をひとつひとつこなしていけば、もしかしたら、ふいに10年後に役立つことがあるかもしれない。もしかしたら誰かが見てくれているかもしれない。本当にどうなるかは誰にも分からないから、与えられたことを丁寧にやることが大事って言い聞かせてます。

最近の私のテーマは「わかりあえないことからはじめる」なんです。わかりあえないことを前提に言葉で説明し合うとかお互いの気持ちを吐露し合うのはめちゃくちゃ大事なことなんじゃないかなって。たとえば、学期末に全学生と教員の前でプレゼンする研究発表。あれって本当に嫌ですよね(笑)。私は苦痛で仕方なかった…。でも今は、あれっていい機会だったと思ってるんです。プロ4って抽象的なものを扱っているから、つい言葉にする機会を忘れちゃったりするんだけど、大勢の前で何かを言語化して説明する機会を与えられているのはすごくありがたいなって。2、3年生の研究発表と卒業制作時に提出する論考のおかげで、「言葉で伝える」ということを意識するようになりました。それはたとえ普通の企業に就職するとしても大事なこと。こんな風に、カリキュラムや授業も習った時はわからなかったけど、卒業してからすっと飲み込めるようになることが、ふとした瞬間にあるんですよね。やっぱり1つ1つ丁寧にやっていくことが大事なんだと思います。それが成功に繋がるとは限らないけど。でも、そこを信じ続けていきたいですね。 (了 2013年12月)

 

サカサマナコ撮影:西巻平

◉告知
サカサマナコ新作「祝辞の方法」
  2014年6月3日(火)〜4日(水)
  東中野RAFTにて
  脚本・演出 : 吉中詩織
  音楽・音響 : 前村晴奈
  sakasamanako.main.jp

 

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