オンガクカンキョウソウゾウカ?

柔軟性と一貫性
周りから吸収しながら、自分の芯を固めていく
プロジェクト2出身 2004年入学 長津結一郎さん
現・東京藝術大学音楽学部 音楽環境創造科 教育研究助手

学部1年から博士3年まで9年間にわたり音楽環境創造科に在籍し、現在も教育研究助手として音環に勤務されている長津結一郎さん。そんな「音楽環境創造科の生き字引」とも言える長津さんの目に、この学科はどう映っているのだろうか。

教育研究助手という仕事

――まず、仕事のことについてお伺いしたいのですが、今までやってきた仕事や、今やっている仕事を、経緯を含めて簡単にご説明いただけますか?

今は、東京藝術大学音楽環境創造科の教育研究助手という仕事をメインでやっています。教育研究助手っていうのは、学生の皆さんと先生方との間に立って、いろいろな学務、この科目は今日は休講ですといった連絡を回したり、この教室は今日は使えませんといった調整をしたり、朝鍵を開けて夜鍵を閉めたり、ということをやっている合間に、学生たちとおしゃべりする、みたいな仕事です(笑)。助手は5人でシフトを組んでいて、僕は学校がある時期は週3回来ています。

この仕事に就く前は、音環の学部入学から9年間芸大に在籍していて、博士号を今年(2013年)の3月に取得して、4月から助手になりました。とはいえ週3日の勤務なので、残り週2日は、学外でいろいろと細かい仕事をやっているところです。たとえば、来年の4月から新しいNPOを立ち上げます。まだ申請中ですが、NPO法人「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」という非常に長い名前の代表理事になって、そこで障害のあるひとの表現活動や、いろいろな社会的排除を受けてきたひとたちとの対話をやっていく活動を始めることになりました。それは、在学中に障害のあるひとの表現活動についての研究をしていたことの影響が大きいですね。

大学入学までは音楽漬けだった

――大学入学までの経歴というか、どういうことをやられてきたのか、ということをお伺いしたいのですが…

僕は札幌出身なんですけど、ずっと音楽をやっていたんです。小さい時からピアノを習っていて、中学生になったら吹奏楽部に入部してホルンを、高校に入ったらオーケストラ部で部長をやりながらホルンを吹いて、という生活でした。塾とかには行っていなかったので、本当に部活漬けでしたね。

アートマネジメントへの興味

それで、高校2年の時に、部活の顧問の先生が定年退職をしたんですね。そこで何かやりたいということになって、現役生とOB生の合同演奏会を2年生の3月にやったんです。コンサートをつくるのは初めてだったし、「札幌コンサートホールkitara」という、2000席くらいある、当時まだできたてで地方の憧れの場所みたいな大きいコンサートホールで演奏会をやれるということで、すごく緊張しながら、何十万円もお金払ってホールを借りて、お金を集めて、スケジュールを立てて、チラシ作って…みたいなことを全部みんなでやって。それが面白かったんです。演奏するよりこっちの方が面白いんじゃないか、って思ったんです。その当時僕はホルンで音楽大学を受けようとしていたんですけど、そっちがあまりうまくいかなかったこともあって。たまたま同じ高校に音環を受験した先輩がいて、学科案内のパンフレットを見せてくれて、「あ、これじゃね?」と思って、音環を受験しました。

仲のいい学年

――音環が取手キャンパスにあった頃ってどういう感じだったんですか?

2002年に音環ができて、2期生までは年齢もバラバラだったんですが、僕の代の3期生はほぼ現役生だったんです。みんな取手とか柏とかその近くに住んでいたので、1年生の時はよく遊んでいたんですよ。週3日くらい誰かの家に泊まったり。そのおかげでそのメンバーは今でもすごく仲がよいです。

いよいよプロ2の現場へ

当時は現代美術専攻のプロジェクト2-1とアートマネジメント専攻の2-2があったんですが、コンサートの運営から入ったこともあったので、1年生の頃は2-2に入ろうかなとぼんやり思っていました。先輩たちはTAP(取手アートプロジェクト)(*1)に取り組んでいたので、制作のボランティアで作品づくりを手伝ったりしていました。

それで、2年生になっていよいよプロ2-2に入り、初めて関わったのが藤浩志さんの「かえっこバザール」(*2)だったんですが、そこからはもう2年から4年まで全部プロ2!みたいな生活でした(笑)。プロジェクトのことをずっとやって、生活費のためにバイトをして、朝起きてTAPに行って、みたいな繰り返しでした。

――2、3年ずっと取手アートプロジェクトの現場だったのですか?

ずっと取手ですね。3年生の後期に千住ができて、キャンパス自体はここに移ってきたんですけど、一番ガッツリTAPに関わっていたのが3年生の時で、野村誠(*3)さんの「あーだこーだけーだ」というプロジェクトの時だったんですけど、その時はもう、プロジェクト自体がもう合宿みたいな感じだったので、めちゃくちゃしんどかったけれど、充実感も大きかったです。

障害者、マイノリティとアート

――ちなみに、今の長津さんの研究テーマ、障害者とかマイノリティとかに興味を持ち始めたのはいつごろですか?

今みたいなテーマは、高校生の時からですね。僕、併願していたのが教育大学の障害児教育専攻なんです。なんで興味を持ったかというと、僕は部活をやりながら一般の吹奏楽団にも入っていたんですけど、地域の区民センターみたいなところにコンサートをしに行ったときに、知的障害のある方が大勢客席にいたんです。だから、始まる前から終始にぎやかで。吹奏楽なのでポップス多めでやってたんですけど、何か踊りだしちゃったりとか、大声を出したりだとか、とにかく何かよく分からないけど楽しそうだったんです。エネルギーがすごい。それまでも障がいのある人と接してこなかったわけじゃないんだけど、何かびっくりしちゃったんです。平然と耳を傾けているぱきっとしたおじいちゃんもいて、そのギャップも面白かった。そういう風に社会の中での立ち位置が音楽を通じて変わっていく瞬間があるなと思って、社会の中で音楽のそういった演出をしていけるような人になりたいっていうことを、受験の志望理由書にも書きました。

学部1年生が終わってこれからの研究テーマを決める際に、やっぱり障害のある人の表現活動に興味があるなと思って、担当の熊倉先生に相談したら、いくつかの団体を紹介してくれたんです。それで関わり始めたのが、エイブル・アート・ジャパンというNPOです。それからはプロ2のことをやりつつ、NPOのことを手伝って、そこで出会った人たちを題材に卒論を書いて、修論を書いて、博論を書いて…という感じですね。

取手アートプロジェクト

――NPOのことをやりつつ、普段のTAPの現場があったということなのですが、TAPにはどういうモチベーションで関わっていたのですか?

最初のモチベーションは、低かったですね。2年生の時に担当した「かえっこバザール」という企画では、はじめは何でこんなおもちゃの交換?と思っていました。でもそれでフェードアウトするのも悔しかった。その企画では、取手の小さい商店街を全部通行止めにして、歩行者天国にしたかったので、町内会長さんのところにご挨拶に行ったら、「おー俺はいいよ、どんどんやってくれ。ただし町会にはいくつも班があって、歩行者天国となるといろいろ迷惑をかけるから、全部の班に挨拶に行ってハンコをもらってきたらやってもいいよ。」と言われてしまったんです。それでハンコを押す表を作ってハンコを集めて回ったりして、自分は何をやっているんだろう、と思うこともありました。でも実際その企画では、普段ほとんど人が来ないような商店街が人でいっぱいになったんです。会長さんも「これはいいね、またやってほしいな」と言ってくれたんです。そうしてイベントが終わって、いわゆる「Plan, Do, Check, Action」のサイクルが一回りしたときに、初めてアートプロジェクトってこういうことか、と気づくことができました。

学内と学外がつながった瞬間

その時は同時並行で、エイブルアート・オンステージという、障害のある人とアーティストがコラボレーションするフェスティバルのボランティアをやっていて、とても面白いパフォーマンスをたくさん見て、当初はこっちがやりたいのになと思いながらTAPに関わっていたんですが、結局TAPの方も面白いなと思うようになりました。

そのエイブルアート・オンステージで、とても面白いパフォーマンスをしたアーティストさんがいたんです。その人は、他のアーティストを交えてこれからの舞台表現を考えるシンポジウムを主催していたのですが、そもそもこのシンポジウムを舞台の上でやること自体が馬鹿げているんじゃないか、と言って、舞台を全部解体して、客席でシンポジウムを始めたんです。それがすごく面白くて、3年生になってTAPで誰か担当したいアーティストさんいる?と聞かれて、真っ先に名前を挙げたのがそのアーティスト、野村誠さんでした。野村さんとはその時からのご縁ですね。途中までは、自分が学内でやっていることと学外でやっていることを分けて考えていたんですが、そういう風に一緒に考えることができると気付いてからは、学校でやっていることも楽しくなってきました。

音環のメリット・デメリット

――音環という一般大学とは違う環境で学生生活を過ごしたことのメリット、デメリットは何だと思いますか?

世の中で言われていることをそのまま受け止めなくなるということが、一番大きいメリットじゃないでしょうか。それはメディアリテラシー的な問題でもあるけど、これはこうなんだと言われていることが、絶対にそうじゃないという確信を持てるようになったのは、音環で過ごしたからだと思います。

あとは、自分にはあずかり知らない世界はどこまでいってもあるということですね。今でも覚えているんですが、1年生の最初のプロジェクト見学の授業で、先輩たちの作品発表をみたんですが、1番目に発表した人が、テレビの砂嵐の音としか思えないノイズをずっと鳴らしてて(笑)。他の同期は来る学校を間違ってしまったのか、とか言っていました(笑)。それはカウンターパンチとしてはけっこう強烈で、アート、芸術、音楽というものは、それまでクラシック音楽しかやってこなかったような人間が思い描いていたよりもずっと広がっているんだと、その時に痛感しました。

デメリットは、世の中を真っ直ぐに見られなくなったことです(笑)。あとは、重荷ですね。どの面接に行っても、どの初対面の人に会っても、「音楽学部ということは楽器は何をやられてるんですか」というのが一生続くのは少しつらいなと。この間もある面接があって、学科の説明で軽く5分くらいかかりました。音楽環境創造科自体が、非常に説明しにくい学科なので、どう解釈するかは自分で見つけていくしかないと思います。

守ってくれる人がいるありがたさ

――プロ2特有の、現場入っとけ!というスタンスに関しては、どう思いますか?

デメリットかどうかは分からないですけど、逃げられないというのはあります。その現場をやるしかないというのは、自分で他の選択肢を開拓できなかった人にはつらいですよね。もしTAPで私は何もできません、となってしまったら、卒論が書けなくなってしまう、というように、現場に関わることが全部に直結してしまうから、そういう「逃げられない」状況がつらい人もいると思います。

ただメリットはいっぱいあると思います。一番のメリットは、事故が起こらない事だと思います。外でやると、自分が何かトラブルを起こしたら、すぐ事故になります。それで成長する部分も多いし、二度とそうならないように経験として残しておくこともとても大事だから、それはデメリットにもなりうるけれど。大学のプロジェクトではなんだかんだ守ってくれるモノだったり、ヒトだったりがいる環境の中で、試行錯誤ができる、多少間違ったところで自分にとって致命的な何かがあるわけではない。そういうことは、成長のために必要なことだと思います。

授業はちゃんと受けましょう

――音環でやり残したことはありますか?

音環でやり残したことは、授業をちゃんと受けるということです(笑)。色々な授業が受けられると思っている間に4年間が終わっちゃいました。まともに受けていたのは副科ピアノくらいで、本当にひどい学生だったんです。授業は外では受けられないものだし、網羅的に一つのことを知るということは貴重な経験だと思います。例えば、「現代アート」や「アートプロジェクト」に関わっていく中で、それが美術史的にどういう意味があるのかということは、自分で調べるのはとても大変なんです。とてもいい先生が教えてくださるので、もっと先生方に学ぶことができたらよかった。そういったことも、助手をやっているうちに挽回できればいいなと個人的には思っています。

音環との付き合い方

――音環を出る人の進路については、どのような意見をお持ちですか?

就職先は自分で見つけるもので、特定の就職先が多いということもないし、なにせ専攻もバラバラだから、それに応じた自分の生き方が活かせるような場所を自分で見つけるしかないと思います。それは入試の時と一緒で、自己表現は完全に自己プロデュース能力が問われているわけだし。一般に言われている「就職」というより、自分はどういう風に生きていきたいか、ということを考えてやっていかないと、音環でやってきたことは無駄になってしまうと思います。

――どういう人に音環に入ってきてほしいですか?

「何をやりたいかは分からないけどこの4年間で見つけたいです」というタイプの人が一番いいと思います。やりたいことが決まっていて、「自分はこういう作曲をずっとやっていきたい」「音響の専門学校に行ってもよかったが親が大学に行けと言うから」みたいな人が、最近受験生でも増えてきていると思うんです。そうではなくて、色んな事をやっている環境なわけだから、あまり自分のやりたいことを絞り込みすぎないで、その環境を楽しめるような人が入ってきたら、いろいろできて楽しいんじゃないかと思います。

僕の時はダンスとかノイズだったからまだよかったですけど、その次の学年はプロジェクトの最初の授業で竹を割りに行きましたからね(笑)。そういうインパクトがあるかないかで、悩まなきゃいけないシチュエーションが早く来るか遅く来るかの違いになると思います。悩むのが遅くなると、出るときまで固まらなくて、ふにゃふにゃと卒業していく、みたいなことになってしまう。いろんなことやってみたい、4年間かけて見つけていきたい、というモチベーションで関わるのが、音環との一番楽な付き合い方だと思います。 (了 2013年12月)

 

*1 「取手アートプロジェクト」1999年より市民と取手市、東京芸術大学の三者が共同でおこなっているアートプロジェクト。プロジェクト2の学生が運営に携わっている。

*2 「かえっこバザール」2000年より藤浩志が中心となって各地で開催されている、いらなくなったおもちゃを使って地域に様々な活動を作り出すプロジェクト。

*3 「野村誠」作曲家、ピアニスト、鍵盤ハーモニカ奏者。音楽の専門家ではない一般の人々と共に作曲をおこなう「共同作曲」の実践者。取手アートプロジェクトにおける「あーだ・こーだ・けーだ」、アートアクセスあだち音まち千住の縁における「千住だじゃれ音楽祭」など、プロジェクト2との関わりも深い。

 

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