オンガクカンキョウソウゾウカ?

音環で、変わったような変わらないような
独特な(?)環境での「人とのつながり」で
わりとなんでもできるようになりました
プロジェクト5出身 2006年入学 林紀子さん
Webディレクター

音環での学生時代は作曲からメディアアートやインターネットアートに関心が移っていったという林さん。そこからゲーム制作やWebディレクターの仕事に至るまでのあれこれを、突っ込んで聞いてみました。

ゲーム制作からWebディレクターへ

――まず始めにお仕事のことをお伺いしたいのですが、今はどういうお仕事をされているのですか?

簡単に言うとウェブサイトの制作です。お客様は、海外のファッションブランドさんとか、ちょっと高めのレストランとか、あとはワインのイベントだったりレストランウィークっていう料理系のイベントのサイトとか、そういったことをやっています。職種で言うとWebディレクターですかね。でも少人数の会社なんで、プログラムを書いたり、デザインをやったりもします。

――情報をもらって編集やデザインとかも全部して、公開できる形にするようなことですか?

そうですね、デザインもたまにやりますし、本当にいろいろですね。代わりに名刺を作ってあげたりもします。あとは、Facebookで広告を出したらいいんじゃないですかとか、Webサイトをこういう構成にして、こういうデザインにしましょうっていう提案ももちろんやりますし、Web関連のいろいろな相談に乗ります。

――会社の同僚や周囲の方はどういう方たちですか?

外国人が多いので、パリの情報大学卒とか、ムサビの情報デザインとか、あとは短大とか専門学校とか、出身や経歴はいろいろです。今はフランス人のお客様と仕事をする機会が多いので、学生時代に語学をもっとやっておけばよかったと思ってます。

――今のお仕事は卒業して最初にしたお仕事ですか?

一度転職しています。今の会社に入る前はモバゲーを作っている会社にいて、そのときはゲームのアイテムをつくったりしていました。キャラクターを動かしたり。怪盗ロワイヤルとか知ってますか? ああいう感じなんですけど、ストーリーを考えるというよりは、次こういう企画をやろうって言われて、それに関連するアイテムなどをつくったりする仕事でした。

――じゃあ前のお仕事と今のお仕事はちょっと違う感じですか?

そうですね。今の仕事に就くきっかけは、音環の1期生の人が今の会社にいて、3年前くらいにその人に声をかけてもらったんです。その頃、モバゲーの制作部署でアイテムとかをずっと作り続ける作業がちょっとつまらなくなってきた時期で転職を決めました。

転職した今の会社は前の会社と比べるともう全然小さくて社員が6人くらいなんですけど、直で海外のお客さんと話しができたり、広い範囲で関われるのって結構面白そうだなと思えたんです。

――今のお仕事で大変なことはありますか?

細かいことはたくさんありますが、とくにお客様を説得するということが大変だなと思います。Webのことをよく知らないお客様もいるので、このデザインはこういうところがよくて、色はこういうところが良いからこれを使ってるんですよ、っていう説明を求められることが多いんです。それには色やデザインの知識だけでなくお客様のブランドイメージや方向性などもきちんと知っていないといけません。それは大変ですけどとても大事なんです。

――お仕事で達成感がある、って感じることはありますか?

この仕事はね、あんまりそういうのないんですよ(笑)。Webっていつローンチしたかっていうのもはっきりしないので……。私は、人からお仕事について「ありがとう」って言っていただけるのが一番嬉しいですね。あとは信頼してくれて、別の相談が来るとか。

入試では携帯10台並べてみた

――それでは、音環に入学するまでのことを伺っていきたいのですが、まずご出身はどちらなんですか?

山形県です。予備校まで山形で、大学入学と同時に上京…だと思ったら茨城だった、みたいな(笑)。私たちの代は1年生の途中まで取手キャンパスだったので。

――音楽は小さいころからされていたんですか、

ピアノは一応習ってました。聞くのは結構好きでしたけど、すごく本格的にやっていたというわけではないです。

――どういう経緯で音環に入ったのでしょうか。

元々は、イベントの演出だったりライブの演出だったり、空間をつくるのが漠然と面白そうだなと思っていて、多摩美の情報デザインとかムサビの情報系の学科とかも考えていました。私立は学費が高いし、絵を書く能力とかもなかったので、入りやすいっていうのもありましたね。

――入試の自己表現は何をされたんですか。

いまのスマートフォンとかじゃなくてガラケーのすごい古い時代に、自分で着信メロディをつくれる機能があったの知ってます? 自己表現は、それをつかって、10台くらい携帯電話を用意して演奏する、っていうのをやりました。今の受験生は知らないですよね…。携帯の音が響かないから拡声する装置とかを置いていたら、試験官の教員たちから「それは何のためですか?」とか「何で携帯なんですか?」とけっこう細かいことを聞かれて、「け、携帯好きなんです」って答えたり。

――そのときの面接の感じで、受かりそう、行けそう、あるいはダメだったかも…っていう感触はありましたか?

私、実は2回受けてて一浪なんですけど、1回目は普通にピアノの演奏みたいな印象に残らないことをしちゃって……。そのときは、あーだめだなーと思ったんですけど、2回目はちょっと面白がってくれたかな、とは思いました。

プロ5で学んたことは、鍋?!

――プロジェクトのことをお伺いしたいのですが

まずプロジェクトで何してたかっていうと……、鍋くらいしかしてない(笑)。

――ほんとですか?!

まあ、私がいたときのプロ5の授業では、インターネットアートについての洋書を輪読したりとか、ラジオ放送をやったりとか、え? 今もラジオやってるんですか? ネタが変わってないですね(笑)。他にも例えばイベントの場だけ設定して、何やるかみんなで毎週話し合ったりとか、専任教官の毛利さんが関わってるイベントにラジオのブースを出したりとか。

――プロ5に入ろうって考えたのはどうしてでしたか。

私、最初プロ1(作曲専攻)だったんですよ。何で移ったんでしょうね。なんか合わないと思ったんでしょうね。1年生の時はプロ1でしたが、徐々にネットアートとかなんかそういう変な方向に向かいはじめたので、音楽だけ作っていてもしょうがないと感じて、2年生からプロ5に移りました。プロ5に行くと、他のプロジェクトは視野が狭いなとは思ってましたね。

――卒論は何を書きましたか。

オモチャを改造して音楽をつくる人たちがいて、それをメインに改造とかリミックスをして作品をつくる文化について卒論を書きました。インターネットアートやメディアアートに興味があったので、そういう関連です。

音環ってマニアック

――他の授業のことや音環での学生生活についてもお聞かせください。音環ではWebそのものを習うわけじゃないと思うんですが、元々Web関係がお得意だったんですか。

全然です。大学に入るまではネットサーフィンしかしてないです。私が入ったときの音環では、メディアアートに興味がある人がわりと多くて、周りの影響で自分でもちょっとやるようになったっていうのと、プロ5でシンポジウムをやったり、自分たちでイベントをやったときにWebサイトをちょっと作ったりはしていました。

――メディアアートに関して学校で何かしていましたか?

関係する授業はいくつかとったりしてましたね。先端芸術表現科開設や、AMC(芸術情報センター)の授業とか。田中孝太郎さんのProcessingの授業や、山辺真幸さんのプログラミングの授業などをとっていました。山辺さんの授業は山辺さんの会社の方も受講しにきていて面白かったですね。あとは同期の子とプログラミング言語を勉強する会をやってみたりして、少し覚えました。

あと、上野校舎のAMCっていうところがあって、そこに毎週違うゲストを呼んで話を聞く、芸術情報特論という授業があったんです。スプツニコ、真鍋大度、大友良英などなど、メディアアート好きにはたまらないラインナップだったので欠かさず行っていました。この授業は外部の人も聴講できるのが特徴でした。今はvimeoにアーカイブされるようにもなったんですね。
http://vimeo.com/album/1805799

――音環でしかできなかったって今だから思うことってありますか。

さっきの鍋なんかを通じて人とのつながりができるっていうのと、あと音環の子って結構なんでもできる子が多いじゃないですか。他の学部だったら、プログラミングしかできないとか、逆に文系でパソコン全然できないとかっていう子もいるけど、音環ではみんな映像も作れるし、音楽もやったことあるし、イベントやれって言われてもそれなりにわかってたり。そういう環境のおかげか、わりとなんでも幅広くこなせる能力みたいなのは身に付いた気はします。

それと今考えると結構すごい人が身近にいたなって思います。伊藤ガビンとか、毛利さんが各方面で活躍する知り合いをゲストで呼んでくれたり、さっきの芸術情報特論でもすごい人たちと身近に話すことができました。

私は音環開設の授業以外もいろいろ受講していましたが、音環生が取れる授業って、たしか芸大のなかでは一番種類が多かったんじゃないかと思います。そのへんも私にとっては貴重な経験につながったと思います。

――逆に音環に行っていたことでのデメリットって感じましたか?

就活とか…? でも就活元々しなくていいと思ってる人が入ってるから…あとはなんでしょうね、サークルとかないですよね。

――それで困ったことはありましたか?

全然困ることはないです。

――卒業した今だから言えることってありますか。

マニアックだったな、って思いますね。プロ5も音環も。私がいたときは特に。意外と会社とかに入ってみると、現代アートとかを知ってる人はいないとか(笑)。メディアアートを学んでプログラミングをちょっとやってたのは、今の仕事で役に立ちましたけど。

私がいたころは現代美術専攻のプロ2−1がまだあったし、音環全体でそういうメディアアートや映像をやる感じがあった時期だったのかもしれません。

――音環に入ってよかったと思いますか。

よかったんじゃないですか。まあ行ってなくてもあんまり変わんないな、っていうのはありますけどね(笑)。

いろんなひとと知り合ってみて

――就職関係や進路のことももう少し伺っておきたいです。

就活はリクナビに登録したくらいでほとんどしてませんでした(笑)。進路がきまったのはたしか4年生の3月くらい。大学院に行こうと思って芸大の横浜の院を受けたんですけど、結局そこがだめで、どうしよっかなって思っていたら当時バイトしてたモバゲーの会社が、じゃあ週5でくる?って言ってくれたので、行く行く!って感じで。

――ちなみに同期の他の方ってどういう道に進まれたかご存知ですか?

普通に就職した人は、コンサートホールとか、音環の助手とか。プロ5の同期は韓国の留学生の男の子だけでした。昔も今も少ないですよね…。でも同期とは今でも連絡とったりしますよ。仕事で困ったときなんかに連絡したり。

――そうだったんですか。最後になりますが、今のお仕事はこれからずっと続けていきたいと思っていますか。

しばらくは続けたいですね。でもそのうちWeb以外もやりたいです。例えば、イベントとオンラインがかかわる装置をつくるとか。大きい画面があってARで服の試着ができるとか、ちょっと外に出たいなって感じはします。ネットの外にそろそろ出ようかなって。

――ありがとうございました。音環生、音環受験生になにかメッセージをお願いします。

何だろうな……、いろんなひとと知り合いになっておいたほうがいいと思いますよ。 (了 2013年12月)

 

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